愛と平和とフランス語

ほとんど自分のためのフランス語学習記録&ときどき時事問題

Denise Bombardier / ドゥニーズ・ボンバルディエ

DALF試験後も、相変わらずフランス語三昧の日々です。

 

 

今は主にアンサンブルアンフランセでレッスンを受けているのですが、良い先生に恵まれ、しごかれています。(私が「厳しくしてください!」と言ったんですけどね。^^)

 

 

レッスンでは、BFM TVの中から興味を惹かれた短いビデオ(2分前後)を私が見つけ、まずそれをディクテし、それから、口頭でレジュメしたりそれについての意見を述べたり、ということをしています。

 

 

先日のレッスンでは、「意見」をあまり準備していなくて、自分でも「子供みたいだなあ・・・」と思いつつひとことふたこと話したら、先生に「それだとA1レベルだよ」と言われてしまいました。(きゃ〜!)

 

 

先生は「論理的に意見を述べる」ということを重視されているので、その辺り、厳しいのです。そして、私は、美しい文章を書きたい、スッキリ論理的に意見を述べられるようになりたい、と思っているので、グサッと言われるほど、やる気が出てきます。(マゾ?)

 

 

でも話す訓練よりも、いろいろ関心を惹かれる出来事やニュースがあって、それを読むのに忙しく、なかなかアウトプットができていません。興味あることが多過ぎて・・・。

 

 

今日は最近亡くなったドゥニーズ・ボンバルディエについて書きたいと思います。勇気あるとても魅力的な女性です。

 

 

 

下記引用はこちらの記事からです。

information.tv5monde.com

 

 

Denise Bombardier est partie à l'âge de 82 ans. Visage bien connu du paysage audiovisuel canadien pour son talent d'intervieweuse, l'animatrice et essayiste se disait accro à la controverse et à la polémique. En 1990, sur un plateau de télévision, elle n'avait pas hésité à s'en prendre à l’écrivain Gabriel Matzneff, alors qu'il se vantait de ses aventures avec des mineures. 

 

【ドゥニーズ・ボンバルディエ、82歳で逝去。カナダのテレビ・ラジオで優れたインタビュアーとして知られた、司会者・エッセイストである彼女は、いつも論争や物議を引き起こすと自認していた。1990年、あるテレビ番組で作家のガブリエル・マツネフが小児との秘め事を自慢げに話すのに、躊躇なく切り込んだ。】

 

 

 

« J’ai fait ce que j’avais à faire », expliquait-elle à propos de cette affaire, même si prendre la parole lui avait valu à l'époque d’être critiquée à son tour. À l’époque, Denise Bombardier avait été la seule à dénoncer les relations de l’auteur avec ses jeunes victimes. L’une d’entre elles, Vanessa Springora, a par la suite publié un livre autobiographique, Le consentement, qui a fait couler beaucoup d’encre en France.

 

【「私はすべきことをしただけ」あの時代、彼女の方が批判されることになったあの件について、こう述べた。

例の作家と彼の餌食となった被害者との関係を糾弾したのは、あの時、ドゥニーズ一人だった。その被害者の一人である、ヴァネッサ・スプリンゴラはその後、「同意」という自伝を出し、フランスに大論争を巻き起こした。】

 

 

↓こちらに、Le consentement (同意)について書いています。

 

francemonamour.hatenablog.com

 

 

Denise Bombardier est née en pleines guerres. La Deuxième, mondiale, et celle qui déchirait son foyer, où son père cruel et méchant ne l’appelait même pas par son prénom.

 

第二次世界大戦の最中に生まれた。この戦争は家庭を引き裂いた。横暴な父親は彼女を名前で呼んだことすらなかったのだ。】

 

 

 

Dans le vieil hôtel Ford de Montréal, où se trouvaient les studios de Radio-Canada dans les années 1950 et 1960, la jeune Denise aiguise ses talents d'intervieweuse et de comédienne dans certains téléromans.

 

【1950年から1960年の間、ラジオ・カナダのスタジオがあったモントリオールの老舗ホテルフォードで、若きドゥニーズはインタヴュアーとして、またテレビドラマの役者としての才能を磨きました。】

 

 

 

Ses cachets contribuent à lui payer des études, le cours classique et puis un baccalauréat ès arts, en 1964, un baccalauréat en sciences politiques, en 1968, une maîtrise en sciences politiques de l'Université de Montréal, en 1971, et un doctorat en sociologie de la Sorbonne, en 1974.

 

【その出演料で学費を賄いました。1964年に古典過程と芸術バカロレア、1968年に政治学バカロレア、1971年にモントリオール大学にて政治科学終了、1974年、ソルボンヌ大学社会学博士号取得。】

 

 

上記の過去ブログ(もしくは元記事)をご覧いただくと、彼女がマツネフの小児性愛自慢を厳しく批判する場面が見られます。

 

 

他の出演者がいやらしく笑っている中で、真剣に、怒りを込めて、一人、反対意見を述べる勇気に感動します。ドゥニーズ自身は、別のインタビュー番組で「ためらうことはなかったわ」と言っていますが、当時(1990年ごろ)は「性的に満足できてない女」など、散々な言われようだったそうです。

 

 

真に勇気ある人の行動に時代が追いつてくるのだと思います。

 

ジャニーズの問題も、たった一人で記者会見した最初の勇気が社会を動かしつつあります。

 

 

ドゥニーズ・ボンバルディエの映像を見て、改めて彼女の姿勢に感銘を受けます。

 

 

以下、おまけですが、セリーヌ・ディオンに関する本を書いたり、彼女に歌詞を提供もしています。

 

www.youtube.com

 

ある時、メイクを落としたセリーヌを見て、「マリア・カラスの面影があるわ!」と言ったそうです。

 

 

セリーヌの方は、子供の頃マリアカラスの本を読み、いたく感銘を受け、その後大人になってから、カール・ラヴァーフェルドに会った時、「カラスになりきった君の写真を撮りたい」と言われたそうです。

 

セリーヌ、はいつかカラスを演じてみたいと思ったことがあるという話をし、それを聞いたドゥニーズは、マリアカラスのことを思いながらセリーヌにDivaと題した歌詞を贈ったのです。

 

 

こちらはセリーヌにインタヴューするドゥニーズ。さっき、料理しながら半分ほど見たのですが、セリーヌがドゥニーズを信頼しているのが伝わってきます。ゆっくり言葉を選んで誠実に話しています。

 

あとは時間をとってゆっくり見ようと思います。(あ〜忙しい)

 

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